河端照孝

河端照孝先生は1940年に東京で生まれました。幼少期に祖父がサンフランシスコで購入した刀を贈られたことがきっかけで古流剣術に興味をもち、生涯を通じて日本刀の研究と古流剣術の両方に多大な貢献をされてきました.
当時の天眞正自源流宗家であった上野靖之源心師(1913-1973)の下で剣術の稽古を始めたのは20代前半頃、浅草の総合武道尚武館での事です。天眞正自源流は香取・鹿島に起源を持つ古武道の流派であり、その歴史は戦国時代にまで遡ります。
後に河端先生は国際武道連盟を通じてヨーロッパやアメリカに派遣され、世界に日本剣術を広めていかれます。国際武道院・国際武道連盟において理事、副理事長、また古武道部会長を歴任し、国内外を問わず日本武道の振興に尽力し、多くの剣術家を育ててこられました。1975年には赤坂にある現日本財団にて指導にあたり、またANA羽田道場や横浜市消防署でも稽古を行うなどその活動は多岐に渡ります。その後、2000年代初頭に東京都北区赤羽南にある三恵インドアスポーツ赤羽1階に正誠館を開設されました。
1987にはTBS「地球ロマン よみがえる秘剣・戦国兜割り」に出演し、兜の試し切りに成功。この時、河端先生は吉原義人作の刀を用いて置手拭形と呼ばれる畳んだ手ぬぐいを頭上に置いたような形が特徴的な鋼鉄製の兜に4寸(約12センチ)もの切り込みを入れられました。兜割りの技は明治19年(1886年)直心影流範士である幕末の剣豪・榊原健吉氏が明治天皇の御前で明珍作の兜に3寸5分の切り込みを入れて以来、実に100年上ぶりの偉業でした。同時期に武道界で最高の栄誉とされる武道功労賞を授与されています。また実社会に於いても様々な分野で貢献されており、日本国から藍綬褒章並びに黄綬褒章を授与されました。
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